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2011年2月23日水曜日

最近の買い物

安い自転車ライトを買ったと書きましたが、同時期に探していたものとしてネットブックがあります

タブレットPCやスマホの全盛期に何ゆえネットブック・・・と思われるかもしれませんが、なんだかんだ言ってもキーボード以上のインプットツールはなかなか出現しないだろうと思ったからです
あとipod touch持ってますしね~

んで、買ったのはこれ
ASUS Eee PC 1015PEM

Atomのデュアルコアとはどんなもんだぃという興味に突き動かされ購入
とはいっても所詮ノートブックですから大した期待はしていませんでしたがね~
それよりは安さ・電池のもち・メモリ増設可というのがより魅力的に移りました

1Gから2Gにメモリを増設して使っていますが、なかなか快適です
youtubeならぬるぬる動きます、saymoveはかくかくでしたがw
非力だからこそ電池も結構持ちますし
いい買い物をしたのではないかな~結構お勧めですょ~


PS 
ネットブック買ったらLinuxとデュアルブートしてみたいなぁと思っていたのですが、PC関連の知識が希薄な自分が手を出すとやばそうな雰囲気を感じたので絶賛しり込み中です
てか、Windows7のStarterがなかなかどうして速いもんだからLinux入れなくてもいいかな~などど言い訳までしてしまっている始末・・・
どうなることやら・・・

to be continued?

えひめAIについて 続きの続き

相変わらず寒いですね
そろそろ暖かくなってほしいと思いつつも、花粉症と戦う日々に戦々恐々な私・・・

タイトルに絡めていえば、気温が低いと発酵も進みませんね
えひめAIもイマイチですし、砂糖を少々入れたぶどうジュースに偶然酵母菌が入ってしまった液体も発酵が進みませんw
(酒税法では、1パーセント以上のアルコール濃度の液体は作っちゃダメダメよ~となっていますw一応ねw)

えひめAIのオフィシャルな作り方では35℃くらいのぬるま湯に一週間浸けとけ~とか言ってますけど、一般家庭でそれやるのは厳しいですよね~
納豆菌や乳酸菌はかなり強い菌なので、そこまでしなくてもいいんでないのと思ってしまいます(特に夏など)

ただ、発酵の進まない今の時期であれば暖めてあげるのも必要かもしれません
簡単に言えば、夜の間は風呂の残り湯の中にえひめAIのペットボトルをブチ込んでおいて、昼間は一番暖かい部屋に置いておけば充分なのでは、と思ってしまいます
(風呂の残り湯を朝の洗濯に使ううちだからできることなのかな?と思ったりしますが・・・)
トータルで100LくらいえひめAI作ってきましたが、今までこのやり方でうまくいかなかったことはありません(てか、冬でも風呂に入れ忘れて放っておくことの方が多いですが・・・)

正確性を期すためにオフィシャルな方ではそう言っているのかもしれませんが、そこまで厳密じゃなくてもえひめAI作れますよってことです

まぁ、素人が言っていることなのでやるときは自己責任でお願いしますね~

PS うちのえひめAIです まだまだいっぱいあるんですが・・・




PS 
前に書いたかもしれませんが、私がえひめAI作り始めたきっかけは水質汚染に対する関心でした
最近はエントロピーという概念を使って水質汚染を考えています
(まぁ実はあまりよくわかってないんですが・・・)
具体的に言うと、水質汚染とはどのような状態を指しているのか、エントロピーという考え方をアダプトして考えているといったところです
水の中の秩序立っていないエネルギーが多い状態を指すのか、それとも単に水の中のエネルギーの総量が多い状態を指すのか…
前者なら、水の中のエネルギーが多い状態でも秩序だったものが多ければ、それは水質汚染とは呼ばないのではないかと思います
後者なら水質汚染と呼ぶでしょうが…

ただ、水中の秩序だったエネルギーとは何かと考えると、それは水中の生態系です
生態系の大きさは水中においては酸素量にかなり依存する気がするので、結局「エネルギー過多=水質汚染」っていう風になるんでしょうかねぇ
その場合、酸素を水中に供給するシステムを組み込んだ時はどうするのかという疑問も浮かんできます

自転車ライトを求めて(100円ショップ編)

私GIANTのESCAPE R3に乗ってます
初心者モデルとして有名な我が愛車ですが、コスパ高い自転車として気に入っています(最近乗ってる人増えましたねぇ、有名になりすぎた感がありますが・・・)
ただ、お金があればそろそろグレードアップしたいと思っている昨今です

それはおいといて、チャリに乗るとき暗くなったらライトが必要です
当然ですがクロスバイクにはライトが付いてませんし、安いながらも使える自転車ライトを常日頃から探しているのですが、最近収穫があったので紹介したいと思います

①ランチャー9
最近の100円ショップはすごいなあと感じた一品です
9個もLEDが付いていて、105円とはこれいかに
気が付いたら3個も買っていましたw
普段使いのライトをチャリにくっつける装置も買って、自転車に付ける予定だったのですが、大きな目玉クリップで自作したライトホルダーの方が使い勝手がよくそっちを使って固定しています


②メガウルトラLED自転車ライト
点灯・点滅切り替え可能で100円とは思えない明るさを持ったライトです
単四の電池4本を使い、5個のLEDで照らします
通称「レモンライト」として安いライトを求める自転車マニアの人にはなかなか浸透しているらしく、入手がけっこう困難と聞きました
シルクという100円ショップの系列にはおいてあるそうですが、無い店も多いみたいです
私が入手したのは先週日曜のシルク幕張店ででしたが、私が大量購入してしまったので在庫があるかは微妙です(ランチャー9もシルク幕張店にはありました)



ランチャー9は割合ワイドな照らし方でメガウルトラはスポット的な照らし方なので、前者を自身の存在を知らせるためのライト、後者を手元を照らすライトとして使っています
ランチャー9だけだと暗い道はかなり心細いので、メガウルトラがあるといいですねぇ


という貧乏学生によるライトのみみっちいお話

2011年2月14日月曜日

野球タイトルの意味を考える

今年も野球のキャンプが始まっています
野球好きとしては今年のシーズンがどのようになっていくのか気になるところです

シーズンが始まると試合結果・個人成績に注目しなければならないので、今の時期に主な野球タイトルの持つ意味を考えてみたいと思います

投手編
1最多勝
2最優秀防御率
3奪三振王
4最優秀勝率
5最優秀中継ぎ
6最多セーブ

6と5については実はあまり興味がありません
リリーフ陣が重要だってことは去年のホークスとかドラゴンズ見ればわかってるんですけどね…

ここでは主に先発ピッチャー向けの指数の意味を考えます

1最多勝 基本はピッチャーが相手に許した点数よりも自軍が多く点を取れるか
これはピッチャーとしての実力と運の必要なタイトルといえるでしょう
仮に多く失点しても自軍がそれより多く得点してくれれば勝てますし、権利を得た後勝っている状態で降板しても後続が打たれて逆転されれば勝ちは消えてしまいます
理屈上は防御率5点台でも最多勝は取れますし、0点台でも取れないときは取れません(理屈上はw)
去年のダルビッシュなんか典型例ですねぇ~
ただ、勝ち運がないピッチャーは厳しいとはいえ、いいピッチングをすればするほどこのタイトルに近づくことはまちがいないでしょう

2最優秀防御率 ピッチャーとしての実力がなかなか純粋に見られる指数
9回投げて何点自責点を負うかの平均
ピッチャーの対他チーム打線への実力が割合純粋に見られる指数だと思います
これもダルビッシュが典型例でしょうね、やっぱり彼は只者ではありません
ただ、去年のダルとかいつぞやのチェンを見ていると、実力があろうと勝てなければ勝負事・チームスポーツでは意味がない、という厳しい見方もできるかもしれません(まぁバッター側に責任があるのでしょうが)

3最多奪三振 主にピッチング面でのエンターテイメント性を評価する指数
まぁ野球において三振を取らなければならないという場面はそこまで多くはありません
僅差のゲームにおいて無死満塁で三塁ランナーが俊足の場合とかですかねぇ
見ごたえのある三振でも、ボテボテの内野ゴロでも一つのアウトに変わりはないですし
ただ、三振をバンバン取るピッチャーは見ていて気持ちがいいですし、ボール自体の質がいいからこそ三振を取れるように思います
球質の良さとエンターテイメント性を評価するために設置された賞といえるのではないでしょうか

4最優秀勝率 「負けないピッチャー」を評価する賞
勝率においては、勝ち数が多いことはもちろんですが負け数が少ないことが求められるように思います
私にとっては、涌井・ダルビッシュと非常にハイレベルなパ・タイトル争いをした2007年の成瀬(16勝1敗)や15連勝した2005年の斎藤和巳(16勝1敗)を思い浮かべる賞です
成瀬は昨季、特にポストシーズンにいい投球をしていましたね
全盛期を知るだけに、斎藤和巳にも是非とも復活してほしいものです


ピッチャー編はあまり言うべきことはないのでこの辺にして・・・


次は
打者編
1首位打者
2打点王
3本塁打王
4盗塁王(あまり興味なしw)
5最多安打
6最高出塁率


1首位打者 打者の打撃技術を測るもの
日本人にとってはタイトルの中でも最も有名なものといってもいいでしょう
打率=「ヒット数/打席数」の最も高い人ですね
ただ、打率では打者の打撃技術のみに焦点を当て、四球を選ぶ選球眼などトータルの打者の能力を測る事は出来ないように思います
また、本塁打も単打も同じヒット一本なので不公平感は否めません
このように不完全な指数なため、野球を見る上で打率至上主義は改めたほうがいいのかもしれません

2打点王 打撃三大タイトルの中で一番影が薄いもののチームの勝利に直結するもの
野球はご存じの通り、多く点を入れたチームが勝つゲームです
ヒットを何本打とうが0点しか取れないならば意味はありません
しかし、打点はチームの勝利に大きな影響をもたらします
本塁打は少ないながらも100打点を超えた去年の小谷野は評価を高めたことでしょう
1・3に比べると地味ながらも最もチーム順位には影響しそうなタイトルといえるでしょう

3本塁打王 エンターテイメント性とパワー?を評価
まぁホームランかっ飛ばすとみているこっちも気持ちがいいですよね
最近のバッターだとブランコのホームランとか見ててテンションあがります↑↑↑
ただ、打点という観点では本塁打は1~4点とバラツキがあります
本塁打をたくさん打ったからといって打点やチームの勝利に必ず結びつくのかと疑問符がつきます
極端な例を出せば2003年の古木(横浜、本塁打22本37打点)なんてのもありますしw
森野は「ミスター3ラン」と呼ばれていますが、これは得点効率よさそうなニックネームでうらやましいです 

5最多安打 打席多くないと無理なタイトル
マートン・青木・西岡と200本以上ヒットを昨季打ちましたが、その際に「イチローの時代とは試合数が違う」みたいなことが言われました
まぁもっともな意見でしょう
同じ試合数でも打席数の多い1・2番じゃないとなかなか取れないタイトルでしょう
逆にいえば、打席数が増えれば増えるほど取りやすくなるタイトルとも言えます
ん~、けがをしないことも重要かもしれませんが、ちょっと不公平感の漂うタイトルかなあと思ってしまいます…

6最高出塁率 もっと評価されていいんじゃないかと思うタイトル
野球のエンターテイメント性を無視すれば、四球には単打と同じくらいの価値があります(時と場合によりますが…)
打率はここを無視しているがゆえにメジャーではあまり重視されなくなってきていると聞きます
その代わりに重要視されるようになる数字がこの出塁率(&長打率)なのではないかと素人がほざいてみます
3連続単打でも連続四球&単打でも両方1点入りますし、ランナーをためる段階では単打打っても四球でもあまり変化がないんだと思います
単打が四球よりもずっと価値あるものと思われているように思いますが、実際あまり変わりません(長打は四球・単打より価値があるので長打率が重要になるんじゃないかな…?)
ただ、スコアリングポジションでは四球より単打打ったほうが点が入るでしょう
ここでは単なる打率より得点圏打率の高さが問題になると思っています
得点圏打率の高い高須は「必殺仕事人」というニックネームがありますし、引退した大道もいい場面に代打で非常に勝負強いイメージが残っています

長々と書いてきましたが、
結論

ランナーためるためには必ずしもヒット(単打)を打つ必要はなく、四球で十分 ∴(最高)出塁率はもっと重視されるべき
ランナーのたまった段階ではヒットを打ったほうが効率がいい ∴得点圏打率の高いバッターは高評価
単なる打率を絶対視する必然性は薄れつつある
ランナーのたまっている場合本塁打は効率的(得点圏打率とも繋がるのかな?)


打点をいかにあげるかをもっと重要視したほうが、野球の勝負事としての側面はより際立つ(野球のエンターテイメント性は置いといて)
そのため、もう少しこうゆう考えをタイトルの在り方(特に打撃系)にも反映させてもいいのではないかと思ったり…


逆にランナー出しても得点圏被打率が低ければ失点につながりにくい→低い防御率

算出法が難しいかもしれませんが、得点圏打率が高い選手・得点圏被打率の低い投手を評価する仕組み・賞などができないかなぁと思っているこの頃です

2011年2月12日土曜日

アイデンティティと言語教育の関連について

私は、大学に入ってから「言語」について、具体的には言語とは人間にとってどのような存在であるのか、考える機会が多くなりました

「国際性」という意味でそれなりに知られた大学に現在はおるのですが、それまでは超ドメスティック野郎だったんで、そのギャップが私をそのようにさせたのでしょう

そこで出会ったのが、B.アンダーソン「想像の共同体」という本でした


この本は、現在の国民国家という政治体制の枠組みは、国民が”何となく”その構成員であるという意識を有しているからこそ成り立つものである、と主張しています(自分の解釈によれば…)


その「何となく」な帰属意識を支えているものが「国語」の存在であり、その国語の流通する範囲(=均一な空間)こそ国民国家の領域と一致するとのことです(自分の解釈によれば…)


国語流通を可能にしたのが、出版資本主義やメディアであり、それらが「均一な空間」作りに大きな役割を果たしたと彼は述べています(自分の解釈によれば…)


また、出版資本主義勃興前のパラダイムとして「文化的な王国」という概念を提示し、その言語(=聖なる言語)と国語となっていく「俗語」の関係性についても論じています(自分の解釈によれば…)


理解力・筆力共に足りない私にはこの本の内容を言葉にするのは厳しいんですが、他にもイロイロと興味深いことが書いてあります
興味のある方は読んでみてください




この本を読んで、言語と人間の関係や外国語教育について感じたことがあります

それは、

日本語以外に(若しくは日本語以上に上手く)自分を表現する方法を持たないからこそ、自分のことを日本人だと思うのではないか?

ということです

言い換えれば、
日本人の頭の中において自らの「思考・感情」は第一言語たる「日本語」と別離困難なほどに癒着しているという点があり、
そして、我々”日本人”が「思考・感情」をアウトプットするには「日本語」に変換する必要があるからこそ、自分を日本人だと感じるのでは?と思っています。

(まぁアーティストの人とかは、言語以外のモノを通じて自分を表現することができるかもしれませんが)


このような日本人の頭の中に「外国語」(オーソドックスに「英語」とすると)を入れこみ習熟させるにはどうしたらいいのか考えた結果、

第一に、”日本人”の「思考・感情」と癒着しているの「日本語」と外国語「英語」の間にリンクを作る、

第二に、「思考・感情」と「英語」の間に直接的なリンクを作り上げる

という2つのステップが必要になるのではと考えています





昨今、”日本語でなく英語で考えること”をテーマとした授業が行われていると聞きます
その流れからすればこの私の考え方は間違っているかもしれません
(目指す所は一緒かもしれませんが…)

先生が「英語で考えろ」と言うだけで、生徒が英語で考えられるようになるとは到底思えません

日本語でしか考えられない・表現できないがゆえに”日本人”なんですから…

日本人というアイデンティティを持っている(可能性の高い)生徒たちに、外国語である英語を教えるということを念頭に置く必要があると思います
(まぁ「日本人」という自己認識以外のものを持っている人もいるでしょうから断言できませんが…)


日本語でしか考えたり表現できない人々を英語で考えられるようにするには、最初に日本語と英語の間にリンクを作る必要があると感じるのはこのためです

(英語を習う際にもっと和文英訳を活用すべき、と先日主張した理由は、日本語‐英語間のリンクを強固なものにする意図があります)





「思考・感情」を「日本語化」しそれを「英語化」することを何度も何度も繰り返せば、徐々に「日本語化」の介在する余地が少なくなっていくのではないかと考えます

(「思考・感情」の「日本語化」はわれわれが普段している日本語で表現するということ、それを「英語化」する技術は英作文・和文英訳で鍛える算段です)


それこそ、「思考・感情」と「英語」の間に直接的なリンクを作っていく作業であると思っています


最後に

「日本語以外で自分を表現できないから日本人というアイデンティティが強化される」というこの仮説が正しいなら、

「英語」と「思考・感情」の間に直接的なリンクを持たせることを最終的な目標とするこの考え方が実践されれば、日本人というアイデンティティ自体を危うくすることでしょう


アイデンティティの改変を伴う一種の洗脳と言えるかもしれませんw


洗脳してやるってくらいの強い気持ちを持って外国語学習・指導には当たらないとモノにはならないんじゃないかと考えている今日この頃です



PS
「想像の共同体」を読んだ後に「文化的な王国」の時代について中学・高校で習った歴史などを振り返ってみると、確かに…と思うことが多くありました


アンダーソンによれば、この時代の東アジアは中華文化圏であり、漢文という「聖なる言語」の知識を通じて支配されていました



藤原某さんが非常にクオリティの高い和歌を作って褒められた時に、
「このレベルの漢詩を作ればもっと評価があがったのになぁ」
って言いました、

などという話を高校の古文の授業で扱っていたなぁと思いだしました
このエピソードからも、「漢詩=聖なる言語」「和歌=俗語」という関係性が見て取れます

また、阿倍仲麻呂が中国でなかなか高い官位についていたことも思い出しました

今だったら高いレベルの国家公務員には外国人はなれない決まりです
ただ、当時は漢文知識がしっかりしていれば、夷と呼ばれる周辺民族でも教養ある人間として出世することもできたのだなぁと思う次第です

(以前あるレポートを書く時に調べましたが、聖なる言語の教養があれば周辺民族でも文化的王国の高官になれるのはイスラム文化圏でも一緒だったようです。
実際、ドイツ人外交官の手記に、オスマン帝国では異邦人が外相を務めていたことについての驚きが書かれていたりしました。)



そして、ルターによる聖書の翻訳っていうのは、欧州の「聖なる言語」ラテン語を通じた支配の終焉を告げる象徴的な事例だったんだなぁ、とも感じました


聖なる言語が神聖なものであった理由としては、それに付随する宗教的・哲学的な価値観があり、その聖なる言語で学ばなければ真理に至る事はできないとされていました
(イスラムは今でもその傾向が色濃く残っているようですが、、)


宗教的な原典が俗語に訳されるようになり、さらに翻訳をdistributeする出版資本主義の登場によって、文化的価値を独占していた聖なる言語の優位性が崩れ去ったといえるでしょう


歴史(特に教育過程で教えられるもの)に過度のストーリー性を持たしてしまうことはあまりよくない思いますが、日本史・世界史の繋がりや解釈の仕方を当時もっと知っていれば…と感じたりしました

2011年2月8日火曜日

英語とか・・・part2

先日、英語の組み立て方(=文型)の大切さを書きましたが、自分の実践するその具体的な訓練法を紹介します

例文
I did have a relationship with Ms. Lewinsky that was not appropriate.
なぜかクリントンさんの「不適切な関係」発言を使います(今更www)


これはdidという「過去の助動詞」を平叙文で使った有名な文なので便利です
I hadよりも I did haveのほうが過去っていうニュアンスが強く出るようです(まぁBillは不適切な関係wは「過去」の話って強調したかったってことでしょうねwww)
過去の助動詞といえば、中高の古文で「き・けり」とか習いましたよね~
英語では、I did have~の省略形として I had~があるってことですね(同様に I do have→ I have、He does have→ He has)
だから、疑問文は順序を入れ替えて Did I have~?になる、という一貫した説明ができます


また、Don't be afraid ~とかいう文もありますし、be動詞に関しても I did be→ I wasが成り立つのではと推測しています
SVってだけでなく、絶対に何かを間に助動詞を挟む必要があるってこと示せます(メインで使うのは省略形でしょうけど…)






まぁ時制とか助動詞はさておき、この文章はS+V+O+形+形って文です


私の構文力アップの練習法は文の要素を削って疑問文を作らせるってものです


普通疑問文 Did I have a relationship with Ms. Lewinsky that was not appropriate?
I を消すと Who did have a relationship with Ms. Lewinsky that was not appropriate?
have を消すと What did I do?
a relationship を消すと What I did have with Ms. Lewinsky?
Ms.Lewinsky を消すと With whom did I have a relationship that was not appropriate?


副詞を含んだ文なら when, where, how, why あたりも出てきますし、what, who(m),which などとの性質の違いを理解すると英語構築力も上がるのでは?と思います


このように何個かの例文を使って、構成要素を疑問詞に置き換えるのはSVOCMあたりの関係性を理解する一助になりますよ~