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2016年12月1日木曜日

映画「この世界の片隅に」を見て思うこと

映画「この世界の片隅に」

配給する東京テアトルの株価が、2日連続の急騰↑↑で2倍弱になって存在を知りました❗
偶然NISAで優待目当てに保有していた自分としてはホクホクです

最低単元のため利幅も大したことはないですが、感謝もあって気になる作品となっていましたため、見てきました。

で、見た感想は、「なんだかよくわからないけど、なんか凄いものを腹にブチ込まれて、精神的に胃が重い。。。」というもの(なんか感想も支離滅裂。。。)

ポスターの見た目的には「日常系萌えアニメ的かな?」などと思い、マスコミでは主に、「感動!」「泣ける。。」というキャッチコピーで扱われている印象でしたが、自分は泣けず、なんかとっても深いトラウマを刻まれた感がしています

映画内の情報量が半端ないのにもかかわらず漫然と見てしまったこともあり、よく意味がわからなかった箇所も多かったのですが、ネットに転がっている解説など見聞きして、その消化不良感に多少解が見いだせたような気がします




まずは、この映画を語る上で、圧倒的な動画の作り込み度合いには言及せざるを得ません

そもそも、アニメーション(Animation)という言葉は、アニミズム(精霊信仰)と同様にラテン語のAnimaという「魂」を指す言葉が語源となっているそうです

本作は、YouTubeに転がっているNHKの特集で扱われていたように、現代に残る戦中の広島や呉の写真を集めるなどして、背景やモブキャラにいたるまで、実際にあった建物・人物に寄せて描いたり、軍艦など軍事関連の描写がめちゃくちゃ凝っていたり、挙げればキリがないほど手の込んだものとなっていて、魂の吹き込まれた「アニメーション」の名に違わぬ圧倒的実在感を実現しているように感じるのです

(逆に言えばですが、、、アニメーションという概念にAnima由来の言葉を当てた人がどなたか知りませんが、そのイデアを射抜く洞察力と教養の深さにマジ感服いたすところですね)

その圧倒的実在感がもたらすのは、
「70数回前の冬、呉はとっても寒かったんだ」
「70数回前の夏には、本当に広島ではこんなことがあったんだ」
というような、「現代とこの時代との連続性」への意識、言い換えれば、
『現代に生きる我々も、「この世界の片隅に」の世界の時間軸の片隅にいるんだ』
という感覚でした

歴史の教科書上で、70数前に日本が第二次世界大戦に参戦していた事実は知っていても、70数前の年に自分の祖父母の年代が第二次世界大戦に巻き込まれたことを実感できていない平和ボケした自分にとっては、戦争も全くの他人事ではないことを強く意識させられる映画だったのです(至極当然のことなのですが。。)




そして、映画中では、戦中を生き抜く人々の、人として根本的な強さを見せつけられます

戦争が始まり戦局が悪化していく中で、食料の配給が減らされたり、末期には空襲が激化したり、登場人物たちは徐々に究極的に思える状況に追い込まれていきます

自分のような人間は簡単に挫けてしまいそうなそんな状況の中、道端に生えた草を料理に組み込む方法を考えて楽しげに調理したり、まるで現代の天気予報が外れた時のように空襲警報の空振りにうんざりしたり、防空壕で雨宿りをしながらキスをしたり、悲惨と思える状況においても笑いを絶やさず強く生きていく人々を生き生きと描いており、「この映画は人間賛歌である」との評にも頷かされるものがあります

また、生活のシーンだけでなく、あのほんわかしたすずが怒るシーンが数回あって、それもあの時代の人々の人としての芯の強さを象徴的に表しているような気がしています




圧倒的実在感が「現代とこの時代との連続性」を意識させ、その後にこの時代に生きる人々のたくましさ・芯の強さを見せつけられると、
「この悲惨な状況は対岸の火事だと決めつけるんじゃないぞ、キャラに感情移入する資格があるほどお前は強いのか?この映画でお前は泣くことができるのか?」
と延々と問い詰められているような気がして、トラウマ的恐怖を感じつつ泣くことができなかった、というのがこの映画に対する自分の所感なのではないか、と今思っています。

(岡田斗司夫さんの評の中で、ボロボロ泣いている人が多い上映回もあれば、上映終了後明るくなっても唖然とした観客たちが取り残されている上映回もあると言っていましたが、自分の感想は後者に近いものなのかもしれないなと思いました)


なんか自分の考えをまとめて多少スッキリしました
こうでもしてスッキリしないと、寝るに寝付けなくさせる映画だと思います
今年見ておくべき一本だと思います、オススメです