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2011年7月3日日曜日

古事記に見るエコロジー

私、実はあまり本を読みません!!

!!などつけて自慢げに言うことではないのですがw

特に小説などあまり読めない性質です・・・

面白いモノにあたればよいのですが、ハズレにあたると、そこまで本を読み進めるのに費やした時間を返せ!?と言いたくなってしまい、次に小説を読む気が失せてしまうのです



なので、一度読んで面白かった本を何度か読み返すことは結構あるのです

そんな自分が結構多く読み返している本のなかに「古事記」があります

私は古文がとってもとっても苦手だったので、原文でなくおこちゃま向けの現代語訳ですがw



古事記と聞いてあまりピンとくる人は少ないと思いますが、読むと結構面白いです

天照大神の子孫たる天皇がmotalな存在である理由は面喰いな祖先がいたから、とか・・・

天照大神とスサノオの命の姉弟ゲンカの決着のつけ方、とか・・・

んなことは今回のテーマとは関係ないんですがねw

興味のある方は読んでみることをお勧めします



んで、本題「古事記に見るエコロジー」です

古事記の一節に・・・

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やんちゃな風の神スサノオの命が高天原でちょいと暴れていたときに、彼は食物の神様が食事を作るシーンに出くわしました

なんと、食物の神は排泄物や嘔吐物から皆が食べる食物を作っていたのです

びっくりしつつ、神も口にする食事になんと汚らわしいことを!!と考えたスサノオの命はその食物の神様を殺してしまいましたとさ
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というお話があります



スサノオの命の「汚らしい」という気持ちは大いに分かります

まぁ常識的に考えれば汚いと思いますしね



ただ自分は、同時に科学の発達していないこの時代の人々が、自然の循環・エコロジーというものを大いに意識して生きていたことに対して驚きを感じました

排泄物は単に汚らわしいだけのものでなく、大きなサイクルを描きながら人々の食に繋がっていくということをなんとなく体感していたからこそ、このような記述が存在しているのでしょう


そのような意味では、科学や衛生概念が発達した現代人のほうが、この種の感覚の鋭敏さを失っているようにすら感じてしまうのです


感受性を豊かにするためにも、昔の文章に触れるのはいいことかも知れませんね


PS 
知らない方のために一応超ざっくりとした説明

詳しくはウィキペ参照

天照大神:太陽神で主神。スサノオの命の姉。イザナギの命が黄泉の国から帰ってきて禊をしていたときに生まれる。

スサノオの命:風の神、冥界の神etc.。やんちゃな性格。生まれた経緯は姉貴と一緒。出雲大社に祀られている大国主命の舅だったりもする。