私は、大学に入ってから「言語」について、具体的には言語とは人間にとってどのような存在であるのか、考える機会が多くなりました
「国際性」という意味でそれなりに知られた大学に現在はおるのですが、それまでは超ドメスティック野郎だったんで、そのギャップが私をそのようにさせたのでしょう
そこで出会ったのが、B.アンダーソン「想像の共同体」という本でした
この本は、現在の国民国家という政治体制の枠組みは、国民が”何となく”その構成員であるという意識を有しているからこそ成り立つものである、と主張しています(自分の解釈によれば…)
その「何となく」な帰属意識を支えているものが「国語」の存在であり、その国語の流通する範囲(=均一な空間)こそ国民国家の領域と一致するとのことです(自分の解釈によれば…)
国語流通を可能にしたのが、出版資本主義やメディアであり、それらが「均一な空間」作りに大きな役割を果たしたと彼は述べています(自分の解釈によれば…)
また、出版資本主義勃興前のパラダイムとして「文化的な王国」という概念を提示し、その言語(=聖なる言語)と国語となっていく「俗語」の関係性についても論じています(自分の解釈によれば…)
理解力・筆力共に足りない私にはこの本の内容を言葉にするのは厳しいんですが、他にもイロイロと興味深いことが書いてあります
興味のある方は読んでみてください
この本を読んで、言語と人間の関係や外国語教育について感じたことがあります
それは、
日本語以外に(若しくは日本語以上に上手く)自分を表現する方法を持たないからこそ、自分のことを日本人だと思うのではないか?
ということです
言い換えれば、
日本人の頭の中において自らの「思考・感情」は第一言語たる「日本語」と別離困難なほどに癒着しているという点があり、
そして、我々”日本人”が「思考・感情」をアウトプットするには「日本語」に変換する必要があるからこそ、自分を日本人だと感じるのでは?と思っています。
(まぁアーティストの人とかは、言語以外のモノを通じて自分を表現することができるかもしれませんが)
このような日本人の頭の中に「外国語」(オーソドックスに「英語」とすると)を入れこみ習熟させるにはどうしたらいいのか考えた結果、
第一に、”日本人”の「思考・感情」と癒着しているの「日本語」と外国語「英語」の間にリンクを作る、
第二に、「思考・感情」と「英語」の間に直接的なリンクを作り上げる
という2つのステップが必要になるのではと考えています
昨今、”日本語でなく英語で考えること”をテーマとした授業が行われていると聞きます
その流れからすればこの私の考え方は間違っているかもしれません
(目指す所は一緒かもしれませんが…)
先生が「英語で考えろ」と言うだけで、生徒が英語で考えられるようになるとは到底思えません
日本語でしか考えられない・表現できないがゆえに”日本人”なんですから…
日本人というアイデンティティを持っている(可能性の高い)生徒たちに、外国語である英語を教えるということを念頭に置く必要があると思います
(まぁ「日本人」という自己認識以外のものを持っている人もいるでしょうから断言できませんが…)
日本語でしか考えたり表現できない人々を英語で考えられるようにするには、最初に日本語と英語の間にリンクを作る必要があると感じるのはこのためです
(英語を習う際にもっと和文英訳を活用すべき、と先日主張した理由は、日本語‐英語間のリンクを強固なものにする意図があります)
「思考・感情」を「日本語化」しそれを「英語化」することを何度も何度も繰り返せば、徐々に「日本語化」の介在する余地が少なくなっていくのではないかと考えます
(「思考・感情」の「日本語化」はわれわれが普段している日本語で表現するということ、それを「英語化」する技術は英作文・和文英訳で鍛える算段です)
それこそ、「思考・感情」と「英語」の間に直接的なリンクを作っていく作業であると思っています
最後に
「日本語以外で自分を表現できないから日本人というアイデンティティが強化される」というこの仮説が正しいなら、
「英語」と「思考・感情」の間に直接的なリンクを持たせることを最終的な目標とするこの考え方が実践されれば、日本人というアイデンティティ自体を危うくすることでしょう
アイデンティティの改変を伴う一種の洗脳と言えるかもしれませんw
洗脳してやるってくらいの強い気持ちを持って外国語学習・指導には当たらないとモノにはならないんじゃないかと考えている今日この頃です
PS
「想像の共同体」を読んだ後に「文化的な王国」の時代について中学・高校で習った歴史などを振り返ってみると、確かに…と思うことが多くありました
アンダーソンによれば、この時代の東アジアは中華文化圏であり、漢文という「聖なる言語」の知識を通じて支配されていました
藤原某さんが非常にクオリティの高い和歌を作って褒められた時に、
「このレベルの漢詩を作ればもっと評価があがったのになぁ」
って言いました、
などという話を高校の古文の授業で扱っていたなぁと思いだしました
このエピソードからも、「漢詩=聖なる言語」「和歌=俗語」という関係性が見て取れます
また、阿倍仲麻呂が中国でなかなか高い官位についていたことも思い出しました
今だったら高いレベルの国家公務員には外国人はなれない決まりです
ただ、当時は漢文知識がしっかりしていれば、夷と呼ばれる周辺民族でも教養ある人間として出世することもできたのだなぁと思う次第です
(以前あるレポートを書く時に調べましたが、聖なる言語の教養があれば周辺民族でも文化的王国の高官になれるのはイスラム文化圏でも一緒だったようです。
実際、ドイツ人外交官の手記に、オスマン帝国では異邦人が外相を務めていたことについての驚きが書かれていたりしました。)
そして、ルターによる聖書の翻訳っていうのは、欧州の「聖なる言語」ラテン語を通じた支配の終焉を告げる象徴的な事例だったんだなぁ、とも感じました
聖なる言語が神聖なものであった理由としては、それに付随する宗教的・哲学的な価値観があり、その聖なる言語で学ばなければ真理に至る事はできないとされていました
(イスラムは今でもその傾向が色濃く残っているようですが、、)
宗教的な原典が俗語に訳されるようになり、さらに翻訳をdistributeする出版資本主義の登場によって、文化的価値を独占していた聖なる言語の優位性が崩れ去ったといえるでしょう
歴史(特に教育過程で教えられるもの)に過度のストーリー性を持たしてしまうことはあまりよくない思いますが、日本史・世界史の繋がりや解釈の仕方を当時もっと知っていれば…と感じたりしました
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