排水を台所の流しに流さないことが、必ずしも環境負荷を減らす訳ではないんじゃないかと思うんです
流しに流さない場合、布などに吸わせてゴミとして出すケースが多いようですが、水分を多く含んだゴミは焼却場で燃やす際にかなりの負担になるそうです
また、比重重めな水を多く含んでいるため、焼却場に運ぶのにも一苦労です
こうゆうことを考えると、必ず思いだす新聞記事があります
「生ごみで野菜 広がる輪 日野市の市民団体」(2009年11月22日朝日新聞)です
おおまかな記事の内容としては、(詳しくはGoogle it !!)
最初は、市と住民の共同事業として団体メンバー3人で、生ごみのリサイクル(堆肥化)をしていた
↓
地元の女性(80代)から、土地を提供する申し入れがあり、その土地で堆肥作りをする
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堆肥があるのだからと、その土地で農作物作りもすることになる
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地元の人々に声をかけられるようになり、家から生ゴミを持ってくる住民も出てくる
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興味を持ち、堆肥・作物づくりに関わる人も増え、作物の収穫体験を行ったり、食育を地元の子どもに施す場となる
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この畑が、家族連れやおじさん・おばさんが集まり触れ合う地元コミュニティの核となった
といったものです
記事によれば、191世帯から生ごみが集まっていたようです
すごいですね~
人との繋がりが薄くなったとかよく言われていますが、こうゆう試みは新しいタイプの共同体づくりに生かせるのではと思ったりします
まぁ、コミュニティ論は置いといて…
ここで言われているのは、価値観を転換させた上での、一種のエネルギーの地産地消の動きなのではないかと思います
先ほど書いたように、水を多く含んでいる生ごみを燃やすのには、焼却場とはいえかなりのエネルギー負担になるようですし、焼却場に運ぶのにもガソリンが必要です
これを堆肥というエネルギー源として捉えなおして、野菜を育てて地元で消費するということは、生ゴミ焼却に要するエネルギーのベクトルをプラス方向に転換させる以上の価値があると思います
(まぁ、コンポストは常識とはなっていますが…)
んで、コミュニティ再生にも一役買うとは、一石何鳥なんでしょうか?
こうゆう取り組みを他の分野でもできないかな~と思っている毎日です
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